フリーゲーム「妹のドリームランド」開発室

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「ゲーム」は「体験」なのか

ある組織が、ゲームコンテンツを体験コンテンツと言い換えて、ゲームにかかるプラットフォーム使用料をゴネようとした記事が記憶に新しいですが、この「ゲーム」は「体験」なのか、という問いかけは、ゲームコンテンツの提供側の将来に非常に重要な方針を問うものでもあります。

ゲーム実況動画を見て、ゲームをプレイしたかのような充実感を得られるタイトルと、自分もプレイしてみたいと感じるタイトルがあります。
実況者さんの動画スタイルにも寄るところもありますが、一視聴者視点でも明確な差をゲームに感じます。

結論から言えば、複数の攻略方法があり「自分ならこうする」「こういうプレイをしたい」と思えるゲームかそうでないか、という違いです。
ゆえに、マルチエンドの配信を要求する視聴者がいて、それに応じる実況者さんは人気があるのだとも言えます。
そこに、視聴者の疑似ゲームプレイ的な「疑似体験」が存在します。

名作と言われるRPGには プレイのしやすさ と プレイヤーの選択肢(ゲームの戦略性)の広さ があるという特徴があります。 この二つは反比例すると思うのですが、先人の知恵は巧みに立体交差させています。
コミックスや小説や映画などと異なり、時間の経過が相対的である分、疑似体験に近づきます。 ゲームコンテンツの他のエンターテイメントとの差別化を際立たせるためには、この体験要素を伸ばすのが有意であると考えられます。

となると、
かつては一般的とされていた一本道のストーリーや、誘導的なボスの攻略法も複数用意することを強いられます。 根気のいる作業です。 果たして、個人制作にそこまで求められているのか? とも思います。 しかし幸いにして、できる環境ならやるべきだ と考えています。

でも、あした、エタナリそうです

f:id:workingestimation:20220307163420p:plainカシェルのカラーラフ
じつは3回ほどエタナっている「エルバシェルの鐘」の主人公


この個体(わたし)には決めることができない。
あまりにも多くの時間を、地上で過ごしてしまった。

~中略~

頼んだぞ、同志。
偏見のない透き通った心(コア)で君が決めるんだ。 このほしと、大陸の未来を。

と「何か」を託される……