フリーゲーム「妹のドリームランド」開発室

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ゲーム制作者に求められる「人格」

ざっくり、ポリコレ的なお話しです。 犯罪や戦争、社会通念上の不道徳な行いを過度に「美化」してはいけない、という話です。

 

何が求められているのか?
「妹のドリームランド」や「最奥の間」「あと10分で魔王が――」の制作者が何を言っているんだ? と思われるかもしれません。
しかし、私は、選択肢を掲示しているだけで、そういった選択をしたのはプレイヤーです。 そして、そういったプレイをすると、ゲーム内の登場人物から(ののし)られます。
つまり、私は、他者を脅したり傷つけたりしてその所有物を奪うことを「悪いこと」として描いているんです。 どこぞの ドラゴンをクエストしてくるぜ! っていうシリーズの作者とは違うんです。(白々しい目)
まぁ、そのシリーズはそういった批判もあったのでしょう……7作目などの紆余曲折(うよきょくせつ)を経て、子供向けということもあってマイルドになっています。

しかしながら、実際のところ、ゲーム制作者に「いい子いい子」の「人格」は求められていません。 冒頭で申し上げた通り、必要最低限の「良心」です。 そうでなければ尖ったアイデアを形にできないからです。

 

ポリコレについて
近年の道徳事情で取り上げられる「ポリティカル・コレクトネス(political correctness)」通称「ポリコレ」はその指標の一つです。 かつての映倫ガバガバ判定のCEROよりも広いです。 しかし、制度的拘束力はありません。

えーりん! えーりん


もともと、政治的な偏りを避けるための指標です。
ところが、政治的論争の現場、具体的に保守勢力(みぎ)リベラル勢力(ひだり)の戦いで、これリベラル層(反自民・反トランプ)の武器になってしまい、本来の目的と逸脱した用いられ方がしています。
例えば 女性の社会的性差による不利益をなくそう、性的少数派を排除するのをやめようという政治的思想を後押しするための「指針」を利用し、これを示せないと「行き過ぎた保守」で「政治的」だ としているのです。

CEROを守っていないと"アウト"すが、ポリコレを守っていなくても"アウト"ではありません。 また、ポリコレを遵守していても、"アウト"になることもあるでしょう。

 

判断基準を設ける目的と手段
やってはいけないこと には理由があります。 本来は社会学、哲学の分野で教育者が解説しなければなりません。 しかし、日本の学校教育や大人になってもその職場において説明を求めても「規則で決まっているから」としか答えてもらえません。
そういった環境にさらされている我々が、まともな人格者になるわけがありません。
「もし許可されていたら、どうなるか?」 という視点で考察し、その結果「社会的不利益につながってしまう」 という部分を順序だてて説明できる、哲学的思考能力と社会学的説明力を両立できる人が極めて少ないです。
特にけ……やめます。

我々のゲームは、一応大人を対象としていますが、子どももプレイするかもしれません。

ゆえに、我々ゲーム制作者をはじめとするストーリーテラーには、犯罪や戦争、社会通念上の不道徳な行いを過度に美化しない「人格」が求められるのです。
犯罪や戦争、社会通念上の不道徳な行いが称えられる世界が現実にシフトすると どうなってしまうのか をよく考える必要があるのです。

 

~蛇足~
とは言っても、実社会にはこの善悪の領分に「宗教」が介在しているので、とても厄介です。 なぜなら、「哲学」「倫理学」「社会学」「統計学」などの学問と呼ばれているものの多くは「神」を排する「悪魔の思想」だからです。

「ゲーム制作者に求められる『信仰』」として記事にするかもしれません。

※この考え方でいうと「大麻」を規制する科学的根拠が薄く、一部で語られている「GHQ連合国軍最高司令官総司令部アメリカ政権)が、たばこ産業の利権のために法規制した」という主張を後押しするものになります。
ラガーディア委員会報告(1940~1944)
世界保健機構の報告(1970)
シーファ委員会報告書/マリファナ~誤解の兆し(1972)