フリーゲーム「妹のドリームランド」開発室

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「ポスト・アポカリプス」の功罪

いわゆる「終末後の世界」を描くSFジャンルを ポスト・アポカリプス といいます。
ヨハネの黙示録/アポカリプス」の後「ポスト」という聖書由来のことばです。

 Apocalypse 神(絶対者)からの強いメッセージ、明かされる非言語的・画像的イメージ ほぼほぼ新約聖書の「ヨハネの黙示録(啓示)」の巻を指します
 Post 複数の意味を持ちますが この場合 ポスト○○ は○○以後 と日本語では慣例的に訳されています

・緑が少なく、荒廃した世界
・文明がほぼリセット
・人類にとって凶悪な生物が生息している。 猛獣であったり、病原菌であったり……
・わずかに残された人類は、旧世界の遺物を利用している
・それでも人々は争いをやめない

こういった特徴があります。

SFモノのひとつの様式として認識されています。 しかしながら、聖書の黙示録で語られる以後の世界というのは、”復活”の後、なんやかんやあって悪魔サタンの一派が完全に滅ぼされた世界なので、まさにパラダイスじゃあないのか? そんな状況は、まだ、”審判”の最中なのでは? という疑問が生じます。
それはさておき、これらの世界観は無常であり、<華々しい未来><輝かしい発展>とは皆無です。
多少なり科学が進歩した形跡は感じますが、結果的に主人公の視点から描かれているのは「行き過ぎた科学技術が地球を破壊した」事実です。
つまり、人類の発展や科学技術に否定的な見識のもとで記されています。

文明の技術に恩恵をあずかっている我々からしてみると、フィクションであっても、決して耳障りのいいものではありません。
しかし、一定数の消費者からは、こういったジャンルも特に支障なく受け入れられいます。むしろ、<望まれる未来>を描いていないという指摘の声のほうが少数です。
もっと言ってしまえば、根拠のない<楽観的なミライ>が描かれていると、リアリティが薄いような気さえします。

で、現実の世界で知見を広げても、人類の将来に根拠のある<繁栄する展望>をのぞめるのかというと、否、です。
自由主義の下、資本主義経済のただなかでは、誰しもが個の利益を第一に考えることを否定しません。
「我が亡き後に洪水よ来たれ」(わがなきあとにこうずいよきたれ フランス語: Apres nous le delugeアプレ・ヌー・ル・デリュージュ / Apres moi le delugeアプレ・モア・ル・デリュージュは、端的に資本主義の構造的欠陥、公権力と結びついた腐敗を招きやすい資質を体現しています。

世界的大富豪から「少子化が進んで、このままじゃ日本が消失するよ」と言われちゃっても、「まぁ、そうだよねー」 となるわけです。

 

「ポスト・アポカリプス」の世界観は人類が破滅的な道を進むこと、あるいは、慢心やエゴを肯定したところから始まり、
「それでも、僕たちは過去の人類を恨まない」(過去の人類、つまりこの私たちの世代への不満描写がない)
「ちゃんと、生きている」(なんやかんやでハッピーエンド)
というストーリーテリングで終わらせています。

我々の選択に警鐘を与えるとも取れますが、実際のところ、一線を引いて、現代の我々を本気で傷つける表現は巧みに避けています。
結局、我々が求めている未来を描いているように思えます。
そう、全てを未来の子供たちに押し付けて、なお、許される世界を描いているのです。


エッチぃナースコスについて、本物の看護師ネキがおっしゃるに「ぼうとく」らしいです。

「医療の発展=延命技術の発展」と定義される「チカいミライ」の世界。
歪な価値観がもたらす負の連鎖を描こうとしたら、いろいろリアルにヤバいことを知って、お蔵入りしたネタがあります。