フリーゲーム「妹のドリームランド」開発室

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つまらないシナリオ=現実的な展開

我々はフィクションに何を求めているのか。
なかには、プレイヤー、視聴者、読者を絶望の沼に叩き落としたいと考えている創作者もいるでしょう。 しかし、多くはカタルシス:浄化的幸福感」を与えることを目的としています。 もっとも、鬱展開が悪いと言っているわけでもなく、それはそれでプレイしてよかった、読んでよかったと思える内容になることもあります。

カラーラフ

1 非現実的な展開
(1)努力や苦労が分かりやすい形で報われる
現実は非情。 よくても二割くらいしか報われないですし、本人の努力ではどうしようもない要因で物事の成否が分かれるシーンが多々あります。
例えば100時間勉強して、500問理解しても、それが検定試験で役に立つ割合は2時間、10問~20問。 割合にして1/50~1/25 2%~4%です。
スポーツものでは、猛練習やチーム間の強い結束がピンポイントで実戦で輝くといった構成です。 フィクションならでは演出・展開ですが、プレイヤー視聴者はそれを求めています。

(2)非日常的な何かは、必ずストーリーのキーになる
「誰も発砲することを考えもしないのであれば、弾を装填したライフルを舞台上に置いてはいけない。」
ロシアの劇作家アントン・チェーホフ氏が友人※に宛てた手紙の抜粋 1889年11月1日。
チェーホフの銃」としてそこそこ名が知られる演劇論
つまり、関係のない演出はノイズになってしまうからするな、登場させるなという意味です。
しかし、実生活はこの限りではありません。 何の前触れもなく自宅に尋ねてくる人がいたとしても、それはただの訪問販売です。

(3)巨悪を倒す
政治的なメッセージになってしまったのでカット!

(4)その他
では、重要なのはどのような「非現実的展開・演出」が求められているかというと、事項に続く、信じたい嘘信じられる嘘、です。
自身の創作物が対象とするプレイヤー層、視聴者層、読者層が好むものをリサーチすることでいくつかの「候補」を立てることができます。

 

2 現実要素としてのリアリティ
「上手い嘘」とは、嘘でなければならないところしか嘘を貼っていません。
全てが嘘っぽいと粗雑さが悪目立ちます。 リアリティのある描写がなければ、美しく作り上げたフィクションが輝かないのです。
学園モノでこんな美少女が田舎の学校にいるわけないだろ、と思いつつも作品性を傷つけないのは、そのほかの「田舎の学校」の描写がリアリティに満ちているからです。
鬱展開――つまり現実的な救いのない悲劇的な結末――が多めの学園モノの登場人物が、黒髪か濃い茶髪、ヤンキーだけ金髪なのはそういう演出につながっています。
逆に、非現実路線で展開するシナリオは髪の色がピンクです。
この髪色・髪型表現は作品のアイコンを示しているので、貼らなければならない嘘です。

人生で挫折している人がいい物語を書けるというのは、この<挑戦→失敗>部分にリアリティを出せるからです。
かつ、救済のシナリオを見出せるだけの想像力を兼ね備えることも必須なのですが、神話や宗教、成功者の伝記から引っ張ってくるのがセオリーで個人の体験そのものではないことのほうが多いと推察します。
それら引き出しについては別の機会に話しましょう。


3 まとめ
一部の物好きな方を除いて、コンテンツ消費者は「非日常的体験」を求めてゲームをプレイし、動画を視聴し、あるいはフィクションを読みます。
しかし、そのコンテンツが現実的な展開に終始しているとうんざりしてしまうのです。
まれに浴びる「リアリティが足りない」「非現実的だ」という批判に対して現実味のある表現、展開をこれでもかと入れることによって対策するのは悪手です。
レビュワーは、信じてもいいかなと思える、もっと「綺麗な嘘をつけ」と言っているのであって、正直者になれと言っているわけではないからです。
心理的な負荷をかけられている人間ほど信じたい嘘を信じてしまいます。
そして、心理的な負荷を負っていない人間は本当に少ないのです。

 

※手紙の送り先の友人

アレクサンドル・セメノビッチ・ラザレフ(Aleksandr Semenovich Lazarev)(A・S・グルジンスキ(A. S. Gruzinsky)の変名)氏とされています