フリーゲーム「妹のドリームランド」開発室

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表現の自由と「否定」


結論

端的に表現の自由とは「否定」する権利だと言い換えることができる。
既存の価値観を否定しなければ、新たな価値観でモノを測ることができない。
批判される過程を通らなければ、よりよい社会、よりよい環境、よりより作品の創出につながらない。

 

1 政治的な意味合いが強い

表現の自由という言葉は政治的な批判を行うときによく使われます。 次に多いのは出版物の規制に関するときです。 芸術的な表現の可能性、表現の枠を超えようとするときに表現の自由を使います、が総じてどれも、権威によって「ダメだよ」と言われたときに表現者がかざす言葉です。

昨今のポリコレ事情で、さらに<政治的な意味合い>が強くなってきました。 支持政党の主張にマッチしているか、いないか、という<政党的な意味合い>です。

創作界隈でも、反戦格差社会の是正、差別の解消、難民・移民問題をテーマに扱うと<思想が強い>と言われることがあるようです。 もっとも、そういう支持政党を賛美する表現を持ち込まないようにしようとするのが本来のポリティカル・コレクトネスの精神ではあるのですが…… 

今回はもっと広い意味での表現の自由について語りたいと思います。

不定形モンスターは服を着ていなくてもセンシティブ判定されない

 

2 何を「否定」するのか

既存の価値観を一度否定することで、新しい価値観でモノを見ることができます。

政治的な側面から考えるとわかりやすいと思います。 首長選挙で現職候補に対して対立候補が立つのも、現職の政治方針では不満があるから、あるいは他にもっといいやり方があると考えているからだと言えます。

現行の政治方針に満足しているなら、そもそも立候補しません。

その根本原理、出発点に現在の価値観の「否定」が存在します。

西洋絵画の例をとって芸術的な分野で説明すると

(1) 平面的で、分かりやすく伝える宗教画

(2) ルネサンスによる写実主義(既存の宗教画のスタイルを否定)

(3) パリ印象派の躍進(既存の写実主義を否定)

(4) 故パブロ・ピカソ氏に代表されるキュビズム等の画法 (モデルの外側を描くことを否定)

(5) 現代アート的な表現 バンクシー氏による絵画のシュレッダー(作品が傷つかず保たれることの否定)

と、独自解釈ですが、表現技巧の変遷(へんせん)をだとることができます。
いずれも、当時主流の「芸術とはこういうものだという固定観念をどうにか打開しよう」と模索した結果なのだと解説できます。

この裏にカメラの普及というテクノロジーの干渉が深く関係していますが、そこに触れると冗長になるので、別に機会に書こうと思います。
既存の価値観にとらわれ、否定する機会を失うと、芸術分野は停滞してしまいます。

 

3 よりよいものを創出するためには批判的な視点が必要

これは、テストプレイの募集時に他サイトで書いた覚えがあります。
クソゲーとそうでないゲームを分ける、もっとも重要な工程が「テストプレイ」です。そこででた意見を反映させることで、制作者の放漫(ほうまん)な自己満足の作品を、なんとか許容できる程度のゲームタイトルへ修正することが可能になるのです。

一言で言えば「ダメだし」です。

これが不十分だと、制作者の放漫(ほうまん)な自己満足の作品が世に出てしまうわけです。

また、昨今言われている、オープンワールドテイスト、クラフト要素が多めの作品が一般市場に出回っていて、消費者も飽き始めているのでは? とする一部界隈のゲーム世論が示すように、ウケが良いモノ、今、主流のモノをあえて否定する考え方が必要になることもあります。
政治的な分野では貪欲(どんよく)な資本主義の蔓延→共産主義の台頭→福祉の充実した自由主義を実現するための模索――グローバル資本 or 国家資本主義、またはベーシック・インカム……etc―― といった感じです。

前進の根源となるのは、政治的分野では既存の政策方針(イデオロギー)の否定、芸術面では既存の芸術的価値観や芸術的権威の否定です。 しかし、否定される側としては耳が痛いですし、権力もあるので、これら「自らを(おとし)める行為」を規制するのは簡単だったりします。
しかし、それでは一部の人達だけが住みよい社会となってしまいます。 特権が造られることになり、それを打破することができなくなってしまいます。
なので、表現の自由憲法で守られている、というわけです。

 

4 まとめ

端的に表現の自由とは「否定する権利」です。
批判する自由とも言われています。
残念ながら、多くのコミュニティで誹謗中傷や名誉棄損と関連付けられたり、チクチク言葉のレッテレルを貼られたりして、批判はすべきではないという風潮が形成されています。 政治的な意味合いが強く<思想が強い人>と言われます。
しかし、批判がなければ改善は生まれません。
新たな価値観・表現の創出は、「否定」から生まれています。