フリーゲーム「妹のドリームランド」開発室

RPG フリーゲーム ツクール RPGMaker ボカロP 温州みかん 月曜日更新

二次創作と一次創作の「クリエイティビティ」

ゲームでも見かけますが、コミック寄りの話題です。
ざっくり言うと、二次創作に独創性や創造性がない、という批判について、
定義的に言うと、二次・n次創作と一次創作のクリエイティビティについて触れたいと思います。

結論を言ってしまえば、まぁ そうだよなぁ です。

もちろん オリジナル・キャラクターではない

作品制作の方向性が違うので、クリエイティビティに重点を置く作者は、そもそも、二次創作しません。
端的に制作過程から比較すると、ゼロから生み出す苦悩が二次創作にはなく、ときに創作の核となる作者のメッセージ性も薄いため、一般論的論調で「クリエイティビティがない」または「著しく低い」という指摘にもそれなりに同意できます。
ただ、本当に創造性や独創性がないのか? 作家性が見えないのか?と言ってしまうと、私は、二次創作なりの創造性や独創性を見出すことは可能だと反論できます。
すでに用意されているパーツの組み合わせ方だけでもかなり自由度が高いからです。

評価者視点に立つと
作品の中に作者のメッセージ性を求めると、一次創作を――
すでにある価値観、共有された世界を楽しみたいのなら、二次創作を――となります。

評論家はメッセージ性を好むので、必然的に二次創作は一段下に評価されてしまう。 そういった権威者から、<しょせん人気取り>、あるいは、<便乗>と断じられても反論できません。

 

創造性に費やす労力的な部分から
すでにある材料から作り始めることになるので、当然、そういったクリエイティビティに費やす労力は二次創作にはありません。
完成度が100として0から始めるより1からのほうが楽ですし、50から始められたらかなり楽だからです。
そして、ゼロ→1の工程に「生みの苦しみ」が存在するので、その点一つとっても創造性に費やす労力はけた違いであると言えます。※1
この部分が、二次創作に創造性があるのか?と問われる点の大きなポイントです。
とはいうものの二次創作において、制作上の苦労がないかと言えばそういうわけではありません。その利用することになるキャラクターや舞台設定を<理解>しなければなりませんし、上手く作品に昇華できるような<つなぎ合わせ>の能力も求められます。
これは、ある意味ゼロから創るより大変な作業です。
怠ると……

ユア・ストーリー「君を、生きろ。」 「君は、何者だ。」
STAND BY ME「日本中が《ドラ泣き》した感動作が帰ってくる!!」 「この冬、もう一度《ドラ泣き》しませんか?」

総合的に一次のほうが大変だ、というのではなく、あくまで創造性に限ったはなしです。
また、完成したモノにだけ目をやると、ぱっと見た感じ<同じテイスト>や<似たような展開>になってしまうため、独自性が薄く感じられます。
たとえば、ツクール制のRPGが、ぱっと見全部同じに見えたりするわけです。
なかには、これがツクールなのか?と見まがうタイトルがありますが、キャラクターはもちろん、マップチップ、UI、BGMおよびエフェクトに至るまで、すべてオリジナルだったりします。
過去、立絵とBGMを自分で描いて、戦闘画面も自作プラグインを投入して頑張ったことがありますが、それだけでも大変でした。※2
しかしながら、オリジナリティ・クリエイティビティを主張できるほどのものではありません。

 

作品の方向性の部分から
二次創作と一次創作の決定的な違いでもあります。
二次創作は、自分の好きなキャラクターや好きな舞台で、同じファンとその世界を共有して楽しむことを目的としています。 ゼロからの捜索と異なり、すでに一定数のファンが存在します。 世界やキャラクターがすでに存在しており、テーマ→ストーリー→システム→世界設定→最適なキャラクターのデザインという創作手順に則ることが不可能です。なので、独自解釈や非常に強いメッセージと相性があまりよくありません。
ここだけの話、言いたいことがあるなら、それ専用の構成・シナリオをゼロから創るべきです。

メイ・フォース・ウィズ・ユー ep7・ep8・ep9! 特にep8
ユア・ストーリー「君を、生きろ。」 「君は、何者だ。」(2回目)

テーマを表現するために舞台から作り出したタイトルと、すでにあるパッケージから導き出されたテーマでは、当然、前者のほうが奥深くなります。 後者には、「ぶち壊し(原作キャラ崩壊)」という禁じ手を使わない限り、どうしても限界があるのです。

蛇足ですが、ファンサービス的なカットも欠かすことができないので、洗練されたシナリオに昇華させるためには、相当の努力が必要になってきます。このあたりでユニークさを出す技術はプロでも難しいと思われます。

 

求められるモノの相違
作品の楽しみ方は人それぞれです。
前述のように、シリーズモノを含む二次創作を楽しみたい方と一次創作を楽しいたい方の求めている展開は違います。
さて、
それらを評価する、口のうまい方々がいます。
実際のところイッパシの評論家であっても、彼らは評価しやすいところから評価します。本来なら、通常プレイでは気づかないようなところにも着目し、それが主題やゲームコンセプトにどのように影響しているか、あるいは言葉にしにくい、なんとなく面白い、素晴らしい、共感できるところを言語化して理解を深めることに寄与するのが評論家の存在意義なのですが…
その評価しやすいポイントの上位に来るのが作品のメッセージ性や、それによるプレイヤーや視聴者層への影響度なので、ギョーカイ的にメッセージ性の低いタイトルは評価が下がってしまうのです。

芸術性や創造性はエンターテイメントに求められている安心感を犠牲にしてまで優先するべきものではありません。
二次創作には、ファンからの応援/追い風を受けられますが、同時に守らなければならない<制約>があるのです。
しかしこれは、<愛>と言い換えることもできます。
RPGツクールMVを例えに上げると、ハロルド、テレーゼ、マーシャ、ルキウスの性格や扱いが、<制作者もびっくりする>ほど、大体似ている点が挙げられます。最初のころは顔グラからのイメージだろうと思っていましたが、それだけの理由ではありません。 作品群が共通認識のようなものを作り上げているようです。HTMLから名付けられたデフォルトネームですが、そのまま自作品に採用されているタイトルのほうが多いです。 これは統計を取るまでもありません。
ツクール制の作品は厳密に言えば二次創作ではありません。
しかし、完全なる一次創作と言い切るのは難しいでしょう。

 

表現の限界 あるいは 可能性
しかしながら、作者っぽさ、文学的表現を用いれば作風というのでしょうか? そういうモノは感じます。
そして、RPGという媒体において好まれるシナリオは、説明が必要なほど難解かつ繊細なものではなく<記号>的表現の組み合わせです。
もともと、小説などの他の表現メディアで使用できる様々なギミックを封じて制作しているも同然です。そのなかで、すでに作家性を表現されているわけなので、一次であろうと二次的なものであろうと、実際のところ大差ないわけです。

 

 

※1 生みの苦しみ:
どうしても、既存のキャラクターに被ってしまいます。
その被り具合をうまくぼかすため、何回も生み直すことになります。
そうこうしているうち、設定が破綻してしまいます。
次に、設定が破綻しないように生み直しを再開します。
この繰り返しのなかから妥協点を見つけるのが本当に苦しいのです。

※2 低レベルクリアを目指す1マップRPG最奥の間
自作のグラ・サウンドプラグインの「グランドスラム」をするツクラーは少数です。そうです私の自慢話です。すごいだろ!