エッなゲームや、それに近いインディーズのノベルゲームで、
「このシナリオ、余計な会話がおおいよな」
と思ったことはありませんか。
これには、理由があります。
1. シナリオライターの原稿料は文字数から算出される
雑誌関連では、1本 2,000円から高くて5万円、
web界隈では1文字1円から12、3円程度が相場である、と言われています。
つまり、内容ではなく、文字数で記事の価値が決められています。
シンプルな表現はお金にならず、逆に、長い文章ほどライターの利益が増えます。
よって、書き手が手直しすると、少しでも文字数を稼げるように「推敲」するクセや傾向がでてしまうのです。
しかし、よいシナリオ(よい記事)とは、無駄のないシナリオです。
もちろん、小説の書き方、うまい文章の書き方のハウ・ツーでも、似たようなことが書かれています。
ところが、プロになると、そうも言っていられなくなる、というのが実情なのかもしれません。
手間ひまをかけて、食い扶持を減らすことを進んでやるとは考えにくいからです。
もっとも、印税や成功報酬を当てにしている先生はこの限りではないでしょいうが……
地方医療のたとえ話をしたいのですが、怒られそうなのでやめます。
あえて完治を目指さない<ヤブ医者理論>
2. シナリオを外注している→制作の主体の人物が自分で書かない理由がある
プロデューサー(制作責任者)なのかディレクター(監督)なのか、場合によっては兼任している 制作の主体となる人 がプロットを組み、脚本(シナリオ)を書きます。
作りたいものを作る、というエッなゲームやそれに近いインディーズのノベルゲームでは、当然の流れです。
しかし、なかには、物語から必然的に登場人物を生みだすよりも、先にキャッチーなキャラクターを用意し、それに合うストーリーをひねり出す手法を好む方もいます。
その場合、シナリオを外注することが多いようです。
ここで仮定の話をします。
出来上がったシナリオを読んで、たとえ無駄な表現が多くても、制作の主体の人物がシナリオ未熟者であったなら、ダメだしができません。
だいたい、自分の能力のちょっと上くらいまでしか、正確にその実力を評価できないからです。
なんとなく「イマイチだな」とおもっても、書き直しにはそれなりの費用と時間が掛かってしまいます。
そうなると、とりあえずお金を稼ぐためのゲームを制作している場合、完成を優先して「目をつぶる」のが最適解になります。
ほかにも、権利関係で、監督や制作責任者の立場にある人が改変できない場合もあります。
彼らをそのままにしておけ。彼らは盲人を手引きする盲人である。もし盲人が盲人を手引きするなら、ふたりとも穴に落ち込むであろう」。
マタイによる福音書(口語訳)15:14
https://ja.wikisource.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E7%A6%8F%E9%9F%B3%E6%9B%B8(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#4:19
と古来から言われているので、この理由についても、そういう制作環境もある、くらいに触れておきます。
3. ゆるさ=それっぽく言うと 市場原理に基づく需要と優先度
そもそも、そういったゲームは"イラスト"の需要が高く、次点にゲーム性と続き、ストーリーの優先度がそれほど高くないようです。 言ってしまえば、おまけ程度に考えられている、ということもあるので、多少アラが目立っても、分岐やスキップ機能が充実していればO.K. だったりします。
むしろ、そういうモノという共通認識さえあるのかもしれません。
これは、アニメの実写化の際に、キャストと予算、公開日はガッチリ決められていて、見込める来場者数もすでに数字で示されている、某東アジアの映画製作事情にも似たようなことが言えるかもしれません。
「完成させる」のが仕事。
脚本の優先度は決して低くないはずなのに、迷走しがちになります。 それなりに批判もあるはずですが。
――おっと、誰か来たようd
まとめると、
冗長に書いたほうが得をするライターがいて、ダメだと指摘できない制作陣の都合があって、ゆるーく許す顧客の環境がある、ということです。
相互作用のスパイラル。 郷に入っては郷に従え、なのでしょう。